今、あなたのお手元にお茶はありますか?

ある日、「お茶を点てる」の「点」という字を見て、思わず声が出ました。

「え、なんでここ点なの?」と。

図形を描くとき、最初にすることは点を一つ打つことです。

その点と、この点が、つながった瞬間でした。

よかったら、お茶でも飲みながら読んでください。

世界中で今、抹茶の前に行列ができている

ロサンゼルス、ニューヨーク、香港、ドバイ、バンコク、メキシコシティ。
今、世界中で抹茶カフェが次々と生まれています。


なぜ今、世界は抹茶に向かっているのでしょうか。理由は3つあります。

1、健康意識。
カテキン・テアニン・抗酸化物質への注目が世界的に高まり、「落ち着きながら集中できる飲み物」として、コーヒーに代わる選択肢として評価されています。

2、SNSの力。
抹茶の深い緑色は写真映えします。色そのものが、SNS時代と相性が良かったのです。

3、本物志向。
寿司、ラーメンの次に来る日本食として、抹茶は食を通じた日本とのつながりを感じさせるものとして、世界の日常に入り込もうとしています。

世界地図の上に抹茶の点を打っていくと、点と点がつながり、線になり、やがて地球を包んでいきます。
「点てる」という一文字が、まさかここまで広がるとは思っていませんでした。

「点てる」という漢字に気づいた日

お茶を「点てる」。この「たてる」は、「点」と書きます。

あとで知りました。この「点」は、もともと図形の点ではなかったのです。

中国から伝わった「点茶(てんちゃ)」という言葉が「茶を点ずる」と読まれ、「点てる」になった。湯を点じる、つまり少しずつ注ぐ、の「点」。点滴の点と、同じ字でした。

それでも私は、図形を描くときの点を、重ねずにはいられませんでした。

私が図形を描くとき、まず最初にすることは、点を一つ打つことです。
そしてもう一つ点を打つ。
その2つをつなぐと、線になります。
最初の点がないことには始まらない。もう一つの点が現れないと、つなげない。

点と点が出会い、また別の点が現れ、つながっていく。
それを繰り返していくと、立体図形になります。

面白いことに、千利休の時代には「点てる」ではなく「立てる」の字が使われていたそうです。
立てる。面が立ち上がる、あの立てる。
漢字は長い歴史の中で、点と立のあいだを静かに行き来していたのです。

お茶を「点てる」という言葉に、こうして「点」という字を当てた感覚は、あっぱれです。
その思いを言葉にするとしたら、「形」です。

茶筅が生み出す、立体の世界

茶筅を持つと、自然と右回りに動き始めます。

シャカシャカ、シャカシャカ。

あの音は、細胞を細かく揺さぶるような、気持ちの良い音です。

泡が生まれる瞬間、驚きがあって、安心があります。
規則正しく、幾何学模様のように。
ずれていたものが、ぴったり収まるように。

その泡をよく見ると、点に見えます。
小さな泡が細かく、細かく、息をしているようです。

私が立体を描くときも、同じ感覚があります。
点の集合体が線になって、線が面になって、面が立ち上がってくる。

お茶を点てるとき、人は自然と「今」に戻ってゆきます。

抹茶色という、言葉にならない色

抹茶色は、私の好きな色です。

落ち着き、潔さ、憧れ。この3つが同時にある色です。

なぜこんなにも惹かれるのでしょう。

おそらく、これは私たちのDNAが知っている色だからではないでしょうか。
言葉になる前の、本能が知っている色。

世界的にブームになっている抹茶を、色の視点から見ると、この抹茶色がこれからの時代のキーワードになる気がします。
世界全体をというより、一人一人の内側を束ねてくれる色として。

一碗の中に、宇宙がある

泡を見て、碗を見て、部屋を見て、庭を見る。

カフェで飲む抹茶も、しっかりとこのDNAを受け継いでいます。だからどこで飲んでも、抹茶はあの静かな空間を作り出せるのだと思います。

千利休は、こう言いました。

「茶の湯とは、ただ湯を沸かし、茶をたてて、飲むばかりなることと知るべし」

——千利休『利休百首』より

茶室という完璧な空間も、紙コップという簡素な器も、突き詰めれば「一人の人間が今この瞬間に一杯の抹茶と向き合う」という点では何も変わりません。

茶室の畳の上でも、ニューヨークの路上でも、東京のオフィスでも。
抹茶を手にした人は皆、その一瞬だけ
「生きている今」を感じている。

それが、先人たちが茶に込めた願いであり、今も世界中に伝わり続けている、たった一つの本質なのかもしれません。


久しぶりに、抹茶ラテでも飲みますか。